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2011年11月05日

須磨章氏講演「フランス煉瓦都市アルビと喜多方の蔵」

須磨章氏「フランス煉瓦都市アルビと喜多方の蔵」講演


世界遺産の番組に関わって8年になり喜多方に感謝する気持ちが出発点と考えています。世界遺産条約が1972年に発効してから40周年を向かえることになりました。


代表的な世界遺産をご紹介いたします。


【スペイン中央部の古都セゴビア】
ローマ時代の水道橋から映像が始まる。そして、セゴビア城、白雪姫のモデルになったお城。市街地へ向かいローマ時代に作られた水道橋。長さ800m、アーチ型の橋脚、お互いに圧力が掛かる石積み工法で現在まで壊れない。地震がないこともある。水源は、アセベタ川、用水路を通って市街地に至る。3度の傾斜をつけることで、一定の供給量を確保している。土木技術の高さが遺産として認められた。


このことから、世界遺産とは、人類にとって普遍的で顕著な価値が認められ、今でも使われていることがポイントであることがご理解いただけるものと思います。このように最初は石の文明が世界遺産として登録されたのです。それに反して、日本は木の文明です。ヨーロッパは石の文明と思われがちですが、木の文明もあるのです。



【ルーマニア、マラムレシュ地方の木造教会群】
モミの木に特別な思い入れがある。モミの木は暮しの全てを包み込む命の木、人々の精神的支柱である。フィヨルド、バイキングの人たちの木造船技術を木造教会建築に転用した。戦争に負けて、建築材料として石の使用は禁じられた。木造であるならばと許可された。つまり、建築資材としては、石よりも評価が低く格下ということになる。大聖堂はこうして木造となったが、大理石に似せた技術等、まことに素晴らしい。


日本が世界遺産条約に加盟したのは、発効後、20年後でした。法隆寺を世界遺産に登録申請時の驚いたエピソードを紹介したします。調査官が問題としたのが、法隆寺の神聖さ、本物性であったのです。火事とか、木の腐食で建設時のものではないのではないかという疑いですね。反論として、当時の設計図が残っているとか、同種の木材で補修し永続性を保っているという主張を行い認められたのです。
世界遺産としての建築材料として、石が取り上げられ、次に木材でした。その次は、土でした。



【アフリカはマリ、ジェンヌの旧市街地】
土のまち。最も高い建物のモスク。一般住宅まで、すべて土で作られた建物。喜多方の蔵も土で作られているけど。西暦1300年頃に作られ現在に至っている。ニジェール川が運んでくる粘り気の強い泥が材料である。日干し煉瓦を積み、その上にその泥を塗って仕上げる。年に一度行われるモスクの化粧直しは町の一大行事である。その泥を上塗りする、ということは、毎年新しいものになるから、永続性では日本の伊勢神宮の建て替えと同じと思うが、世界遺産として登録されている。


世界遺産条約の条約批准国は187カ国、そのうち、登録されている国が34カ国。条約発端は、エジプトのアスワンハイダムの建設に伴う、アブ・シンベル神殿問題。ダムを作るか、遺産を潰すか問題となり、解決策としてユネスコに持ち込まれました。世界各国の協力によって、神殿を高所に移設してダムは建設されたのです。このような問題が生じないよう、人類の貴重な遺産を将来に残す方法として、条約が考えられたわけです。
現在の世界遺産登録数は963あります。



【フランスの司教都市アルビ】
レンガづくりのまちアルビ、ローマカトリックの中心都市、15〜19世紀にかけて繁栄したまち。現在の人口は55,000人。規模は喜多方市と同程度。アルビの旧市街地は人口1,000人、そんな狭いエリア。このまちには建築資材としての石がないので、レンガを使用した。その中心が大聖堂。今の利用は、19世紀に活躍した画家アンリ・トルーズ・ロートレックの退廃した芸術画で埋め尽くされている。どうして、レンガづくりのまちが残されているのか。それは人々の想いである。この建物主は、2500万円もかけて補修した。1/4程度は公的資金が入っているようだが。エレベーターもない古い建物を大事に使用している。背景には1940年のナチス侵攻と占領がある。国土は破壊つくされた。亡命政府のルイ・オートフールは、歴史的町を残すために主要な歴史的建造物の周囲500mの範囲を保存する法令を創設した。それが、そのまま残っているということだ。それで、アルビ大聖堂を中心とした半径500mの区域は保存されることになった。政府は、建造物建築監視官を各県に1名〜2名を配置して、その建築許可行政を行っている。今は、全国に150人。毎年その試験にはが250人が挑戦しても10人が合格という難関だ。


監視官のジュロネさんは10年前から携わり、とてもやりがいのある仕事だとコメントしていました。大聖堂前の集合アパートの壁の色は、長い話しあい、試験塗を経て、結局は管理官の提案するベージュとなったようです。でも、家主はこの制度に満足しているのです。実は、アルビの旧市街地は1960年代にはスラム化していました。裏通りには電気も無かったのです。市当局は再開発計画を通そうと、補修の予算付けはしていなかったからです。丁度、喜多方のように、旧市街地を守る会の創設、互助組織の活動は、再開発計画を潰しました。その後、市は、世界遺産登録にも主導的役割を果たしたのです。その辺も、当時の唐橋東市長を動かした喜多方の人々と共通点があると感じました。アルビは、50年かかって世界遺産登録を果たしたのです。


アルビの人口は55,000人です。


【フランスの司教都市アルビ】


喜多方は、原子力事故による観光客激減など大変な時期に遭遇しています。だからこそ、このような都市と意見交流が必要でないのかでしょうか。


豊かな発想と行動は学ぶことから始めるべきではありませんか。


一気に姉妹都市をというのは、無理な話しだと思いますよ。最初の提案として蔵の会でツアーを組み尋ねることはどうでしょう。私が、アルビとの橋渡しはいたします。絶対にヨーロッパ人は蔵に興味を持つと思います。喜多方を世界に情報発信するよい機会であると確信しています。長い時間お付き合いいただき本当にありがとうございました。
posted by velostyle at 12:14| 福島 ☁| Comment(0) | ■蔵のまちづくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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